ゆっくりとナイフが近づいてくる。
男の爪が首に食い込み、ひどく苦しくて悲鳴をあげそうになる。
声が出ない
くるしい・・・っ
助けてほしいのに哀願することすら許されない
つめたい殺気。
キリキリと締め上げられる喉。
歪んだ笑みには
ただただ自分に向けられる憎悪の感情。
たすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてよだれかぁっ・・・・・・!
叫びたいのに声が出ない
声が出ない・・・・・!
__どこかで誰かが狂ったように笑う声と、すすり泣くような声がきこえた。
けたたましい音ではっと我に返る。
スマートフォンのアラームが最大音で鳴らされていた
俺はひったくるようにスマートフォンを取り、アラームを解除する。
そうか、俺・・・眠って・・・・・・・・
俺は肩で息をし、こめかみを押さえた。頭ががんがんと痛み、足元がふわふわした
アラームを解除したのにまだ夢の中にいるみたいだった
夢の中・・・そう、あれは夢だったのだ。あんな街中であんなこと、起こるわけがない
悪夢を消し去るように舌打ちをし、大学へ行く準備をするため立ち上がろうとすると・・・
膝が震えていた。
おれはおびえているのだ
ばかげてる・・・・!
たかだが夢くらいでこんなにも、怯え、動揺するだなんて
おかしい。そんなの俺らしくもない。
テキストとノートをかばんに投げ込み、椅子を蹴って立ち上がると
首筋に鋭い痛みが走った。
なんだ・・・この痛みは・・・
じりじりとした違和感を覚えて、まろぶように洗面所へ走る。
ひったくるように首元のスカーフを取り去り、鏡を覗き込むと
首元に紅い手形がついていた。
そうだ・・・これは・・・
あの時、ラベンダーに絞められた時に・・・!
一気に吐き気がこみあげ立っていられなくなる。思わずその場で戻すと、咥内がびりびりと痺れた
あれは、現実だ。この傷痕もあの憎悪もすべてすべて!
そう意識するとまた胃の中のものがせり上がってくる気色を感じ
洗面台にしがみつく
視界がぐるぐるとうねり、何かにしがみついていないと倒れてしまいそうだった。
憎悪と嫉妬と殺意に血塗られた男の瞳を思い出すだけで
震えがとまらない
だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、だれか、
だれか・・・!
・
・
・
悪夢を拭い去るようにつめたいシャワーを浴びると、頭がすっきりとして、呼吸が楽になった。
すると、まるで思い出したかのように空腹を覚える。
ふと、時計を確認するととっくに昼過ぎになっていた。
ふと、時計を確認するととっくに昼過ぎになっていた。
出なくてはならない講義がいくつかあったはずだが、
大学に行こうという気はまったく起きなかった。冷蔵庫がカラになっていたので、目についたダイナーで遅い昼食をとる。
そこそこ評判が良いのか、平日の昼過ぎだというのにぽつりぽつりと客席が埋まっていた。
愛想のよい店主がもってきたクロワッサンとレモンティを口に運ぶが、食が進まない。
ぼんやりと外を眺めると、スーツ姿の男が目に入り・・・
びくりと肩が震える。
一度意識するともうだめだった。
のどがからからと乾き、膝が震える。
ジュークボックスから流れる音楽に集中しようとするがうまくいかない。
夢のこと、ラベンダーのことを思い出さないようにしているのにどうしても頭から離れない。
あの後、気が付いたら、俺は路上で倒れていた。
紅い痕を首につけて・・・
・・・・何故俺があんな目に遭わなきゃならない・・・!
理不尽な暴力に怒りが湧く。
俺があんたに何をしたっていうんだ・・・!俺はただ、ただ、あいつのことを・・・・!
じりじりと思いを巡らせていると、聞き覚えのある声が語りかけてきてはっとする。
「お昼ですか?先輩」
「ご一緒していいですか?」
不愉快な声に顔をあげると、案の定あの男だった。
俺はうんざりして口を閉ざす。すると、それを了承のサインだととったのか
アイリスはずかずかと無遠慮に近づき、勝手に隣に座った。
勝手に座んじゃねぇよ・・・!
無遠慮な振る舞いにイラつき、思い切り顔を顰めてやるが、アイリスはてんで気にせず、ぺらぺらと話しかけてくる
「先輩、それ、伊達眼鏡ですか?似合いますね。素敵です」
「先輩、今日の講義もう終わりですよね?これからどこか行きませんか?デートしましょうよ。デート」
昨日あれだけ罵声を浴びせてやったというのに、まったくこたえていないどころか
デートをしよう、などと誘ってくるだなんて
思わずため息を漏らすと、アイリスが俺の顔をじっと見つめてきた
「先輩?」
「具合が悪いのですか・・・?」
「・・・・!」
「さわるな!!」
伸ばされた手を振り払うと、俺は大声で叫んだ。
「なんなんだよあんた!挑発しても、罵倒しても、無視しても全然響きゃしねぇ!
「ムカつく・・・・!ムカつくんだよ!どうやったら俺の前から消えてくれんだよっ・・・!」
全てがムカついた。
おろおろと俺の顔色をうかがう店主も、興味津々で眺めてくる他の客も
みんな、みんな、みんな・・・・!
全てをこの男にぶつけてしまいたかった。
怒りもあらわに睨み付けてやると、アイリスは静かに口を開いた
「やっとこっちを向いてくれましたね。うれしいです」
「えっ・・・・」
「何かあったのですか?先ほどから顔色が優れませんよ。
「もしでしたら、薬を買いに行きましょうか?」
「・・・・っ」
「・・・ごめん」
「え・・・・?」
「ごめんな、アイリス。昨日も、今日も・・・ごめん」
「先輩」
「俺、ちょっと苛々してて・・・あんたに当たっちまってた」
「せっかく告白してくれたのにな・・・俺、正直、あんたの気持ちに戸惑ってる・・・
「でも、仲良くなりたいって・・・今のあんた、見てて思ったよ
「無視したりして・・・ほんと、ごめん・・・・」
「だから、埋め合わせさせてくれよ。今度の日曜、どこか行こうぜ」
「はい!」
・
・
・
ゲームに、ダーツに、カラオケ、プリクラ。マオははしゃぎまわるかのように全てを愉しんでいるようだった。
アイリスはそんなマオの顔を見つめ、口角を上げ__笑っていた。
ふたりはまるで古くからの親友のようにみえた
「アイスコーヒーでいいんだっけ?」
「はい。ありがとうございます。いくらですか?」
「ああ、いいよ。金は」
「すみません。ごちそうさまです」
「いいよ。別に」
「と、やっべぇハチミツ忘れた」
「ハチミツ、ですか?」
「ああ、俺、めっちゃ好きなんだよね。だからなんでもハチミツかけちゃうの」
「クマさんみたいですね」
「笑っちゃうだろ?」
「いいえ、可愛いと思います。」
「じゃ、ちょっととってくるわ。そこで待ってて」
「はい」
マオが店の中に入るのを見届けると、アイリスは足元の紙袋をさっと引き寄せて中身を確認する。
何回も何回も確認してから、手に取ってみる
軽いはずのそれは・・・・緊張のせいかずしりと重く感じた。
「喜んでくれるだろうか・・・・」
アイリスはそっと微笑み、マオの帰りを待った
しかし
マオが現れることはなかった。
"Party rock is in the house tonight. Everybody just have a good time"
"And we gonna make you lose your mind. Everybody just have a good time"
"We just wanna see yaa! Shake That !"
「んだよ、お前、来れんのかよ。言ってくれればハナっから誘ってたのによぉ
「この時期はレポートだなんだってクソ忙しそうにしてっから、オレらエンリョしてたんだぜぇ?」
「マオ」
「そりゃ、悪かったな」
「いやいや!全然イイぜ?そりゃ、マオがいた方がいろいろと・・・助かるけどな?
「で・・・今日のクラブの費用なんだけど・・・」
「払っといた。1年分。こんだけありゃ足りるだろ」
「ワオ!たっすかるー!やっぱマオ様は違うわぁ~~」
「別に」
こんなシケたクラブの代金などはした金に過ぎない。
ごまをするようかのようにおだてあげる屑どもの歓声を肴に、薄いカクテルに口をつけると、隣からか細い声がした
「あの・・・そ、そ、そういうことは、やめ、やめたほうが・・・・」
「は?何オマエ、なんか文句あんの?」
「そ、そ、そ、んな・・・もんく、だ、なんて・・・!」
「セージはいいこチャンだもんなァー!じゃ、お前が払うか?」
「・・・な、え?!ぼ、ぼ、ぼ、ぼく・・・・!」
くっだらねぇ余興。
まだなにか言い合っている馬鹿どもをちらりと一瞥すると、ゆるゆると「あいつ」のことを想いだす。
あいつ、いまどんな顔してんのかな
仲直りしたいと言ってやると、笑っていた。
髪型をかえてきてやると、似合うと言ってくれた。
歩くときに少し手をぶつけてやると、俺の手と自分の手をじっと見比べていた。あいつ。
___全てが演技であるとも知らずに___
仲良くしたい?バッカじゃねーの?
んなの、最初っから嘘にきまってんだろ!
あんたって、ホントマヌケだよな。楽しそうにはしゃいじゃってさぁ
こっちはもう、笑いをこらえるのに必死だったっつーの
俺みたいなやつを信じようとするから裏切られんだよ
バーカ
これで、俺の勝ちだ。
かわいそうにアイリスはいつまでもいつまでも俺の帰りを待っていることだろう
かわいそうに、かわいそうに、ははっ・・・!はははははははっ!
アイリスを傷つけることができたのだと思うと
大声で笑いだしてしまいそうだった。
「マオ?」
そんな俺の様子に気付いたのか、屑のひとりが訝しげにこちらを見ていた。
俺はふわりと笑って、屑どもの会話に混ざった。
昨夜はうっかりと飲みすぎてしまったため、少し胃がむかむかとしていたが、気分は爽快だった。
さすがのアイリスも、もう俺に絡んでこようとは思わないだろう。
ここまでしてもダメだったらもう、重度のドMである。精神科にぶちこむしかないだろう
俺は上機嫌で研究室を後にする。鼻歌を歌いたい気分だった。
「先輩」
___この耳障りな声が聞こえてくるまでは
「昨日のことでお話があるのですが」
ここは一般の生徒なら用などない研究所棟だ。偶然通ることなどありえない。
ということは、わざわざ俺に会いに来たということだ。・・・・したがって
「ドMかよ」
俺はうんざりとしてため息をついた
人目に付くのが嫌で場所を変えようと提案すると、アイリスは俺を無人の教室へ案内した。
導かれるままに教室へ入ると、ガチャリと音を立てて、アイリスが部屋を施錠した。
それを何の感慨もなく見つめる。
もうどうでもよかった。すべてが億劫だった。
「話って・・・・なんか文句でもあんの?」
「え」
「あんたといても退屈だったから帰っただけなんだけど。それって俺が悪いわけ?」
「やっぱ俺らって合わねぇな。別れっか?」
「だめです。」
挑発するように言うと、間髪入れずに返事が返ってきて、またうんざりした。
おちょくってやろうと口を開いたが・・・・
「先輩。昨日はすみませんでした」
アイリスは、俺を遮るように謝罪の言葉をのべた
「あ?」
「先輩とデートできるだなんて夢のようで独りよがりなことばかりしてしまいました。
「先輩をもっと楽しませてあげられればよかったのに・・・」
「だから、もう一度チャンスをください。今度こそ貴方を楽しませてご覧にいれましょう」
何言ってんだこいつ
頭おかしい
自分がなにか失態をしてしまったから俺が怒って帰ったと思っているのか?
なにか理由がなければバックレてはいけないのだろうか
ゆるゆるとため息をつき、この場を立ち去ろうとすると・・・・アイリスが俺の腕をがっとつかんだ
「先輩」
「・・・っ!いちいち腕をつかむな!痛てぇんだよ!!」
あまりにも強い力にカッとなり、小さく叫ぶと、アイリスはぱっと手を放した。
なにがしたいんだよあんたは!きっ、と睨み付けてやると、アイリスは妙に冷静な面持ちで口を開いた
「もしかして俺のことを試してます?」
・・・・胸がドキリとした。
「・・・何言ってんだよ」
「いえ、先輩の態度・・・わざとひどいことをして俺を遠ざけようとしてるように感じたので」
「前も言ったように俺は真剣です。真剣に貴方のことが好きです
「だから、どんなに俺を試そうとしても無駄ですよ」
「っ・・・・」
じっと見つめるまなざしに強い光を感じてたじろぐ。
ただのあまっちょろい、つまらない男だと思っていたのに・・・!
しかし
そのとき、俺はふと・・・とても面白いことを思いついた
「・・・じゃあ、あんたは俺が何をしても俺のこと、嫌いにならないのか?」
「俺がどんな悪い奴でも?俺があんたに、どんなことをしても?あんたを下僕のように扱っても?」
「もちろんです」
「・・・・信頼できねぇ」
「そんな・・・!」
「信頼できねぇよ・・・・」
「だから、あんたが身を持って教えてくんない?」
「えっ・・・・?」
「あんた、俺の奴隷になれよ」
「奴隷・・・・?」
「そ、奴隷。うーん・・・正確には、奴隷ごっこか?」
俺は先ほど思いついた「ゲーム」を懇切丁寧に説明してやった
「これから3か月間、あんたは俺の言うことをきく、俺の忠実な下僕になるんだ。
「俺の言うことには逆らわない。ためらわない。疑わない。俺のためだけの絶対的な下僕。
「3か月間、俺の命令に従えたらあんたの勝ち。俺はあんたのことを信じてやる。あんたの思いを受け止めてやるよ。
「ただし、俺の命令には絶対服従だ。
「あんたが俺の命令に背いたり、命令をクリアできなかったら即ゲームオーバー。
「俺とあんたの境界線は二度と交わることはなくなる」
「・・・・どうする?」
「・・・・」
「そんなの、決まっているじゃないですか・・・」
「喜んで奴隷になります。陛下。・・・・何なりとご命令を」
まるで、女王に傅く騎士のように、従者のように、奴隷のように
アイリスが跪いている。
あの、俺をイラつかせるしか能のないアイリスが。殺してしまいたいほど鬱陶しいアイリスが。
俺に、俺に傅いている!
胸がカッとあつくなり、喉の奥から笑いがこみ上げてくる。
狂ったように笑い出しくてたまらないのをぐっとこらえ、アイリスに命じる
「そ?じゃあ、早速、言うことでも聞いてもらっちゃおうかなー」
「脚を舐めろ」
「わかりました」
アイリスは俺の靴を丁寧に取り去ると、まるで宝物を扱うかのように俺の脚を包んだ。
そして、そっと唇を近づけると、ぬたり、と舐めた。
親指から指と指の間まで丁寧に舐めとっていく。静かな教室にピチャピチャと水音が響いた。
掲げ持つようにして俺の脚を舐めとっていたアイリスだったが
ふと、気がつくと床に這いつくばるようにして俺の脚をねぶっていた。
這いつくばって俺の脚に舌を這わせるアイリスは、まるで犬のようで・・・とても滑稽だった。
俺はなんて馬鹿だったんだろう。
無視してみたり、中傷してみたり・・・こいつのような男は何を言っても無駄なのに
最初からこうすればよかった
ああ、なんて無駄な時間だったのだろう。
これから、たっぷり返してもらうぜ?俺の貴重な時間を・・・
あんたは俺の犬なのだから
薄汚い犬の様なアイリスを見下ろし、俺は静かに興奮していた。
0 件のコメント :
コメントを投稿